●皇継承議論で、国論が割れる事態は避けるべき。
→ なぜなら
皇位継承にかんして国民の意見が二分されて、対立すれば、人々の間にいさかいや悪意が、生まれる可能性だってあるかもしれません。が、それより何より、皇位継承、そのこと自体が悲しいかな、消費されることになります。いけません、そんな事になっては。国論を割ってしまっては。
有識者会議が、そうして割るきっ掛けをつくったかもしれないのです。肝心の皇位継承という課題を、有識者会議は今回あえて取りあげず、議論せず、わざわざ別なテーマを持ちだして、まとめた報告書を今回政府に提出してきました。責任ある者たちが、責任から逃げたのです。
この先国論が二分されやしないかと気をもんでるところです。政府は、まじめに組織を立ち上げるべきでしたよ。
●象徴天皇制は、国民主権の下での最大公約数的な解決策。
→ つまり
象徴天皇制、これは国民主権と共に、先の大戦直後に行った、戦後民主主義改革における肝心要なのでした。日本の国柄をそうして決定し、日本国は再起して今に至っています。
天皇を元首に据えよう、憲法にそれを記そう、と考える人もいるようですが、わが国の最大公約数的考えは、現在の象徴天皇制を維持することです。それは国民主権のあらわれでしょう。
●旧皇族の皇族復帰は、一般市民と異なる身分を認める事。
●戦前回帰の改革では世論の理解は得られない。
→ つまり
戦後の民主主義改革においては、皇族と、華族(近衛、鷹司、三条など)と、士族、これらの封建時代の身分を、廃止することも行いました。
廃止された旧皇族は、一般市民となり、それ以降70数年が経ち、もうすでに3代目に代替わりしています。
先祖は皇族だったというだけで、今では一般のふつうの生活を送っている人たち。その中から誰かを特別に、皇位継承という目的のために選んできて、そして養子縁組によって国民よりも高い位置の身分に据える、という案は、もしも現実化したなら酷いハレーションを起こすのではないでしょうか。
第一にその選ばれた人が新たな身分に果たして耐えられるのか?
そしてなによりも一般の国民が、ただでさえ格差が広がってストレス社会になっている現状にあって、まさに上級国民を押し頂くことになれば、反発心や反抗心や邪気などを抱き始めないか?
「男系男子」という一種の楼閣を、今の日本社会という砂上に建てる人工的な作業は、もはや宗教的儀式のようになりはしないだろうか。
新たな身分制度をつくることは、民心を、きっと荒らすに違いないと危惧します。
以上のように、
小野さんのつぶやきを読み解いて、みたのです。