男系男子に決まった時代


 奈良時代(8世紀)につくられた法律(養老令)では、女性天皇の子どもにも、皇位継承資格をみとめていたようです。

つまりその時代には「女系」をみとめていたと(神道学者・皇室研究家の高森明勅氏より)。

憲法に、天皇は「初代からつづく血統=万世一系(ばんせいいっけい)」であると書き、法律に「男系男子のみ」が継承する、と書き込んだのは、明治時代でした。
女性や女系天皇については、議論はしてもきっぱりしりぞけました。

1889(明治22)年に公布された、大日本帝国憲法。

第一条 大日本帝国ハ 万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ 皇男子孫之ヲ継承ス

同じく明治22年、皇室典範もつくられました。
第一条 大日本国皇位ハ 祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス

明治政府は、江戸時代までの徳川幕府にかわって国を治めるにあたり、天皇の権威をかかげながら、中央集権国家という、政府に権力が集中するかたちの国をととのえていきました。
そして天皇は君主でありながら、陸海軍をひきいる大元帥(だいげんすい)=総大将でもあるとしました。

ちょうどその頃は、西欧列強(=西欧の強い国々)が、日本を取りまく緊張した時代であったため、外国の植民地にされたりしないように、明治政府は富国強兵(ふこくきょうへい)というスローガンのもと、強力な国家づくりをしたんですね。

そして政府は国民ぜんたいを、国家神道によってまとめていきました。

天皇を現人神(あらひとがみ・神が人の姿になっている)として、国民全体でうやまうその国家神道は、8世紀初めの時代にも取り入れられていましたが、その当時と同じく、神祇官(じんぎかん)という、神々の祭りをつかさどる官庁も、明治政府はおきました。
また、小学校の教科書でも、天皇が神々とつながっている物語をまじめに教えながら、世の中をおさめました。

──明治時代は、とても大きな変化があった時代だったんですね。
 つまり明治から始まった「伝統」も、あるんだということでしょうか。
 ほかの伝統のことも少し調べてみたいです。

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