男系男子の血は、しかし側室制度をもうけていたとはいえ、父から息子へと、かならず引きつがれたわけではなかったようです。
全126代の天皇のうち、27例は、父から息子ではなく、兄姉弟のあいだで継承されたようで、そのほか、遠い親せきなどへの継承も、28例あったようです。
天皇が同時に2人いた、南北朝(なんぼくちょう)の時代もあしました。
そしてまた、初代の神武(じんむ)から9代目までは、実は、神話の世界のことであり──だからか古代天皇の多くは100歳越えの長寿で、初代 神武は127~137歳で──ほんとうに実在した人物と確かめられたのは、15代 応神(おうじん)天皇からのようです(2005/11/7朝日新聞より)。
調べるといろんなエピソードや事象がわかってきます。
が、反対派は、そういう細かな事よりも根本をまずうったえます。
むかしの人たちが、さまざまな困難を乗りこえて守りつづけてきた、男系男子の血=皇統は、これからも守らなければならない伝統なのである。女性の、とくに女系の天皇によって、そこをたち切ることがあってはならないのだ。
というのが、反対派の意見なのだと思います。
──以上まとめてみましたが、守るべきその「伝統」が、いま一つ分かりません。
その「伝統」の、始まりのところから知ってみたいと思います。
つぎの項で学んでいきましょう。